大湊神社の宝物

本殿・拝殿(雄島) 

 元和七年(1621)福井藩二代藩主松平忠直が願主となり、大工石井宗行によって造立された、雄島の中にある社殿は、福井県の重要文化財に指定されている。本殿が昭和28年3月19日に、拝殿は昭和46年4月16日の指定。  ※ 詳細はコチラ

各種神像 

 大湊神社の所蔵されている男神像1体・女神像1体が福井県の重要文化財に、女神像1体と男神像3体が坂井市の重要文化財にそれぞれ指定されている。  ※ 詳細はコチラ

各種絵馬 

 大湊神社に海上安全を祈願んし古くから多くの船絵馬が奉納されてきた。また所蔵されている絵馬の中には、船絵馬だけでなく、七福神の絵馬や義経一行が安宅関で勧進帳を読み上げる場面を描いたものもある。  ※ 詳細はコチラ

獅子頭 

 高麗狗(こまいぬ)型の獅子頭で、高さが30.5センチ、幅35.5センチ、奥行38センチ。桧(ひのき)材で、頭部と下顎部よりなり、別材の舌が付く。丸いほぞ穴に耳を差し、鼻先は別材を寄せ、眉と唇上に束ねた毛が残る。全体は黒漆塗り、耳内側・目の周囲・鼻孔・唇・内側は朱漆塗り。特徴的なのは頭上についた耳が、垂れずに、ピンと立っていることである。頭部内側に「従五位下豊高」の刻銘がある(「豊高」の名は大湊神社神主松村家々系譜にその名がみられる)。
 桃山時代の作と伝えられている一方、その漆の状態から室町時代とも云われるが、明確ではない。
 例年3月20・21日(元は2月20・21日)に行われるお獅子祭(神幸祭)で、古くからの風習として、この獅子頭が神輿の上に乗せられ巡行していた。
 普通、獅子頭は神楽を舞う際に使用されるのだが、この獅子頭は重量もかなりあり、舞いではなく神輿に乗せ巡行するために作られたものと考えられる。
 昭和51年(1977)7月27日、三国町の文化財に指定され、町村合併により現在は坂井市の文化財となる。
 ※ 「高麗伝来御獅子略縁起」と石川県の島村

兜 

 文治2年の秋、源義経公が奥州へ下降される途中、当地の庄屋・久末七平宅に止宿され、当社(神主・松村豊尚)へ参拝されまして家臣である亀井六郎重清の兜一領を神前に奉納し、一門の武運と海上の安全を祈願されたと伝えられている。
 全体的に小ぶりでの兜。劣化が進み、頭頂部分は欠損している。

弓・刀 

隕石