【県文化財指定(昭和28年3月19日)】
本殿は、美しい彩色が施されている桃山様式の柱や梁等をもつ一間社流造、桁行1.8メートル、梁間1.5メートル、柿葺(こけらぶき)の小社殿である。棟札(むなふだ)によれば、元和七年(1621)、福井藩二代藩主松平忠直が願主となり、大工石井宗行によって、武運長久国家安全祈処として造立されたものである。本殿は文政七年(1824)建造の覆屋の中にあるため、部材の風食は割合に少ない。正面一間の向拝をつけ、向拝柱には欅(けやき)材が用いられている。向拝中央の蟇股(かえるまた)は、表面に松と鳩、裏面に松、母屋のは鳩と橘、鴛鴦(おしどり)夫婦と燕子花(かきつばた)、夷(えびす)の鯛釣りの彫刻を入れた三種が使われ、いずれも脚の伸びが少なく、殊に夷の鯛釣りは図柄から見て元和までさかのぼることは難しいであろう。用材も桧(ひのき)と欅とが混用され、母屋の円柱、向拝の方柱など、ともに桧材で後世の変改かもしれない。この柱には金襴巻の極彩色を施し、そのほか蟇股などにも美しく彩色してあるが、正面側面の主要部だけで背面にはない。正面昇勾欄宝珠柱は、手作りの素朴な味をもつもので、破風の懸魚は桧材でいいものが下がっている。【県文化財指定(昭和46年4月16日)】
桁行1.8メートル、梁間1.5メートル、の一重入母屋造りで銅板葺の床板張りに造られている。本殿と同時に元和七年(1621)藩主忠直公の造営で、その正面の蟇股や柱には桃山風の様式をとどめている。屋根の勾配は急で、軒の出が浅く、北陸漁村特有の季節風から建物を防ぐため漁家の建築構造を取り入れている。