大湊神社の御神像

男神像坐像 

【県指定文化財(昭和34年9月1日)】
伊邪奈岐命神像と伝えられます欅材(けやきざい)を用いた一木彫成像です。
像高70.3センチ、肘張45.2センチ、膝張52.4センチ、前後に三角状の突起をもつ古代冠をつけ、無欄立襟の袍(うえのきぬ)の朝服を着し安座しています。
正面両手で何かをもち(持物を失っていますが、それを挿入したと思われる小孔があります)、顔は両目をまるく見開く忿怒の相で、体躯には力強い量感をみなぎらせ、侵しがたい威厳をそなえています。
現状は素地をあらわしますが、顔の右側面・冠の一部に胡粉地塗をわずかに残すことから、もとは彩色が施されていたと思われます。
内刳(うちぐり)はありません。
やや磨損しますが、平安時代の雄作と称することがでます。
昭和61年12月20日から昭和62年3月31日に修理をしました。

女神像坐像 

【県指定文化財(令和2年8月4日)】
頭髪を中央で左右に振り分け、両肩背面の三方に垂れ、右袵(うじん)の衣を着け、小袿(こうちぎ)を羽織り安座します。
像高58.2センチ、肘張37.7センチ、膝張47.8センチ、桧材(ひのきざい)を使い本体を正中線で左右に寄せ、それに膝部を別はぎし、それぞれに内刳を施し、色彩は現在ほとんど剥落し尽くしています。
彫眼、わずかにほころばせた唇の間より歯を覗かせ、頬や顎の肉付は甚だ豊かです。
鎌倉時代には寄木造のかなり精巧で写実風な神像が作られましたが、本像もまたそのような作例の一つであろうと思われます。
両手首より先はほぞ挿しとなりますが、両方とも欠失しています。
昭和62年6月12日から昭和63年3月31日に修理をしました。
昭和46年9月1日以来、坂井市(元は町)指定文化財でしたが、 令和2年7月20日の教育委員会の会議で決まり、令和2年8月4日付で県指定文化財になりました。

男神像坐像 

【町指定文化財(昭和61年4月1日)】(町村合併により現在は坂井市)
像高49センチ、桧材を用いた一木彫成像です。巾子冠を戴き、鬚(しゅ)を着け、袖家の両手を胸前において拱手(きょしゅ)をしています。正面の脚部のはぎ付けは欠失し、内刳はありません。
昭和62年6月12日から昭和63年3月31日に修理をしました。

男神像坐像 

【町指定文化財(昭和61年4月1日)】(町村合併により現在は坂井市)
像高53センチ、桧材を用いた一木彫成像です。巾子冠を戴き、鬚をあらわします。両手で笏をとっていたと思われます。両手と笏は欠失しています。現状は素地をあらわしますが、胡粉地塗や朱彩の部分が残っています。内刳はありません。像の前面に大きな木割れが生じています。
昭和62年6月12日から昭和63年3月31日に修理をしました。

女神像坐像 

【町指定文化財(昭和61年4月1日)】(町村合併により現在は坂井市)
像高39.5センチ、桧材を用いた一木彫成像です。総髪で、額に皺を刻み、衲衣を着けます。現状は素地をあらわしますが、背面に胡粉地塗をわずかに残すことから、もとは彩色が施されていたと思わまする。頭体一材で、両肩・脚部はそれぞれはぎ付けで、内刳はありません。本体と右肩以外は欠失しています。
昭和62年6月12日から昭和63年3月31日に修理をしました。

男神像坐像 

【町指定文化財(昭和61年4月1日)】(町村合併により現在は坂井市)
像高71センチ、桧材を用いた一木彫成像です。巾子冠を戴き、鬚をあらわし袍を着けます。両手と笏は欠失しています。彩色が施され、彫眼、頭体一材、両腕・脚部はそれぞれはぎ付けで、内刳はありません(両腕・脚部は欠失しています)。
昭和62年6月12日から昭和63年3月31日に修理をしました。