池上区の左儀長

 現在は例年2月中旬の日曜日頃に、池上区の集出荷場の屋外に巨大な左儀長飾りを造って行っています。

 明治以前の古くからの語り伝えによりますと、集落に在住する15歳から30歳までの若者の正月(2月14日)の新年行事として、上出垣内(浄心寺‐等覚寺門徒で一ヶ所)・椎木出垣内(善教寺門徒で一ヶ所・西向寺門徒で一ヶ所)の計三ヶ所で、それぞれが持ち回りの宿番を決め行っていたそうです。松と竹を切り出し藁を持ち寄り、朝から出役して、左儀長の神飾りをなし、旧年の農事に感謝し、新しい年の豊作と無事安泰を神に祈願し、厄年に当たる若者は神酒を供え御祓いをなして、その宿で夕餉を共にし祝盃をあげ、真夜中に点火して厄をうち祓う習わしが長く続けられていました。
 戦後になり年々若者の数が減少し、加えて勤め人が増えたため、持続が困難になり、昭和51年の初集会の議を経て、村の青年団が主体となり池上区左儀長保存会を結成して保存会の行事とし、場所は区の共有地の安全な場所(現在の場所)一ヶ所でするようになりました。
 池上区で一本の左儀長であるため長老の知恵を借りて本式の左儀長飾りを造り、宿制を廃して、区民館を使用し、厄年の若者が従来通り御神酒を供え、神職を迎え御祓いの議を行い、真夜中に点火し神送りをするようになりました。その際、夕方には村中の氏子の老若男女が神前にお参りをし旧年中の注連縄等を持ち寄りて神火で燃やす習わしを引き続き行っています。
 飾りには紅白の細長い布の幟を三すじ作り、三者(区長が「歳徳大明神」・氏子総代が「大明神」・青年団が「大将軍」)が毎年揮毫する他に、紅白の吹き流しを吊るします。
 平成21(2009)年から時間が大幅に変更になり日中に点火するようになり、平成23年からは14日でもなくなりました(平成21年から変更にはなっていましたが土日だったため14日に行っています)。場所も平成21年から数年は伊伎神社の脇の広場で行われていました。それ以降、豚汁が出され、餅を火であぶって食べたりもするようになりました。