伊伎神社の由緒
宝亀6(775)年に創祀された、延喜式内の古社であります。
また一説には……さらに古い時代から伊伎神社はあり、鵜奥麻が神官となり日本武尊を祀り伊伎加美の氏神としましていました。一時村人が男大迹天皇(継体天皇)により開拓された平野に移動し村が空洞化しました。鵜奥麻6世の孫、鵜穂らが540年に再興し日本武尊、男大迹天皇、安閑天皇を祀ったのが始まりとする説もあります。
中世には武家政権となり、神仏混合もあり、神道が荒廃し、応仁の乱などの戦乱なども影響してか、 永正12(1515)年6月、神社社殿ことごとく焼失しました。このため御祭神を白山神社に遷座し、区内の近藤斉藤氏宅の仮殿でも御祭神(継体天皇等)を祀り伊伎神社は一時杜絶しました。
万治3(1660)年、伊伎神社再興のため、白山神社境内に3神を祀る神殿を造り、その後天保11(1840)年までには拝殿、本殿も再建されました。
明治25(1892)年、白山神社の境内地にあった伊伎神社並びに薬師神社を白山神社に合祀。社格制定により指定村社にりました。
明治40(1907)年9月18日、丑卯堂山の大日霎貴尊を祀る村社の神明神社、出垣内の大山祇女命を祀る無格社の観山神社、萩野(宮の坂山)の伊弉册尊を祀る無格社の白山神社を合祀し、官許を得て白山神社から「伊伎神社」に改称しました。
又、帝釈天堂、毘沙門天堂を新築し御祭神も遷座しました。