「 雨岡神社の湧き水 」


 雨岡神社の境内の下の竹やぶの中に湧き水があり、その中程に鞍石(くらいし)といって馬の鞍をさかさにした形の石があるそうです。
 今から四百年以上も昔の天正年間のことです。この近くにいた小山備後守(こやまびんごのかみ)という武将は、その時に織田信長(おだのぶなが)と争っていた朝倉義景(あさくらよしかげ)の味方をして、東尋坊で戦死したと云われます。その小山備後守の妻は夫の死を悲しみ、
「この池の水を干したら風雨にしてやる」 と言い残して、この池に身を投じて死んだといいます。
 この池は、昔はずいぶん大きかったそうで、長い年月の間に落葉で次第に、浅く小さくなり今は鞍石も見えません。しかし、この辺りでは旱魃・日照りになり水が不足しますと、この池の水をくみ出して鞍石を出して洗えば必ず雨が降ったといい、この雨乞いの行事も大正時代の中頃までは続いていた云うことです。