「 ごとべい谷 」


 安島の方から行くと、崎浦に入る手前の右手に広さ二十アール程の谷になった土地があり、ごとべい谷と云われています。
 ここは今から七百五十年程前の後鳥羽院の御所のあった所といわれていて、「後鳥羽(ごとば)谷」から「ごとべい谷」になったものと思われます。
 その昔、後鳥羽上皇は時の幕府を倒そうと考えましたが、その事は上手く成就かなわず、隠岐(おき)の島に流されてしまいました。上皇はこの島を逃げ出そうと、皇后と共に船出されたが、途中で嵐にあい、遠く離れた越前(福井)のこの崎の海岸に漂着された。そうして、上皇がこの崎の土地にお住みになったといい、そのお住まいがごとべい谷にあった云われています。
 上皇がお着きになった所は、ごとべい谷の下の波打際にある大とら、小とらという岩の辺りだということで、この附近からは勾玉が二・三個でたという話もあります。
   そして崎浦の海岸には、難破くり(くりは岩礁)・王が島・院が崎・院が松・天上島・後鳥羽(ごとべい)下・宮(巳野)といった後鳥羽上皇に関係のある名が残っているそうです。ちなみに院が松は県道から海岸の方に入った、灯篭が立っている所だそうです。