大湊神社の御祭神

  • 三保大明神(三尾大明神)
  • 事代主神
  • 少彦名神
  • 大物主神 (※1)
  • 三穂須々美神 (※1)
  • 天照皇大神 (※2)
  • 伊邪那岐神 (※2)
  • 伊邪那美神 (※2)
  • 応神天皇 (※2)

※1:相殿(式内 楊瀬神社)。天正年間に合祀されたと伝えられる。
※2:明治45年6月より合祀。

御祭神について

 当神社の御祭神は事代主神・少彦名神等で、三保大明神(三尾大明神)とも号せられ、三尾君の祖神とも伝えられている。三尾君とは古い時代にこの土地を拠点に力を持っていた豪族であり、六世紀前半に即位した継体天皇にも関係する名称である。(詳しくは、当サイトの[神社知識]継体天皇を参照)
 事代主神・少彦名神等は後になってそう云われるようになったのであり、元来は三尾大明神であったのではないであろうかと思われる。三保は三尾に通じ、水尾にも通ずる。
 また、古い記録によると、三尾大明神や事代主神・少彦名神等と並べられて彦太押信命(ヒコタオシノマコトノミコト)や石衝別命(イシツクワケノミコト)も御祭神名として記載がある。

 石衝別命とは磐衝別命・磐撞別命などとも表記せられ、『日本書紀』によると、垂仁天皇が山背(やましろ)に幸し、山背大国不遅の女(むすめ)綺戸辺を召し生ませた子で、三尾君の始祖とされている。また『古事記』によれば山代大国淵の女、弟苅田刀弁を召し生ませた子であるといい、羽咋君と三尾君の祖という。
 石衝別命の六世孫が、継体天皇の母・振媛(ふりひめ)。

 彦太押信命とは彦太忍信命・比古布都押信命などとも表記せられ、『日本書紀』によると孝元天皇の妃伊香色謎命の腹に生まれ、武内宿禰の祖父に当ると見える。