モクリコックリ

 昔、モックリコックリという大きな魚が、雄島さんに攻めて来ました。
 モックリコックリの繰り出す攻撃に、雄島さんはとうとう九分通り殆どの部分が海の中に沈んでしまいました。
 このままでは、雄島が沈んでしまう。雄島の神様は、弓に雄島の竹を取って作った矢をつがえモックリコックリに向かって放ちました。
 ところが、モックリコックリには効きませんでした。
 雄島の神様は諦めません。次々に竹の矢を作り、更に射て射抜き続けました。
 そうこうしている内に、雄島の竹を全部使い切ってしまい、一本も無くなってしまいました。
 モックリコックリの攻撃で、雄島が完全に沈もうとしているのに、そのモックリコックリをやっつける為の矢がもうありません。雄島の神様が困っていると、お宮の前に一本のかぶら矢が降って来ました。
 雄島の神様は、早速、そのかぶら矢でモックリコックリを射ました。
 すると、そのモックリコックリに向かって行く一本のかぶら矢は、次第にその数を増し、ついに千本の矢になって、この大きな魚なの両目を打ち抜きました。
 こうしてモックリコックリはやっつけられ、、雄島の沈んでいた部分も元通りに浮かび上がりました。
 これは丁度大晦日の晩のことであったので、翌日の元旦にはモックリコックリの死骸がアカバセという浜に上がりました。アカバセの石が今でも赤いのは、その時モックリコックリの血に染ったからだと言われています。
 又、村の人々はこの魚を食べることにして、臓物までも食べたので、それからは正月に雑煮を食べるようになつたとか、モックリコックリは大変大きな魚だったので、食べても食べてもなくならず、とうとう次の年の正月まで残り、以来正月に魚をつくり次の年まで取って置くのはこの事があってからだとか言われています。

モックリコックリの正体

 昔、伝教大師が丹波にいた時、山の仙人から十年の約束でその山を借りました。
 ところが、それから十年の月日が流れ、いざその山を返さなければならなくなった時、伝教大師は山を返すのが惜しくなりました。しかし、その約束の内容はちゃんと紙にかかれていて、破る訳にはいきません。
 大師は何とか返さずに済む工夫がないものかと、一匹の亀に相談をしました。
「十の字の上へチョボンを一つ書くと千の字になる」と、亀はこともなげに答えました。
 山を返す約束の日。約束の通り山を返してくれと言う山の仙人に、大師は一度書類を改めてみようと言います。そうして書類箱を開けてみると、約束の内容が書かれた紙の十の字が千の字になっているではありませんか。大師は亀に教わった通りに、書き換えていたのでした。
 結局、山は仙人に返される事なくとられてしまいました。
 そして山の仙人は行く所を失って、仕方なく雄島へやって来て、そこを自分の新しいすみかにしようと、大きな魚になって暴れましたのです。
 この大きな魚になって暴れた山の仙人こそが、モックリコックリだと言う事です。


蒙古・高麗(高句麗)

 一説に、モックリコックリの名前の由来が、蒙古と高句麗にあるのではないかとも言われています。
(聞いた所によればそうなのだが、蒙古と高句麗では国家が存在していた時代が違う。寧ろ、高句麗ではなく元来は高麗だったのかもしれないと考えられる。もしくは具体的に実在した国に意味があったのではなく、脅威の象徴としてその国の名前だけが必要だったか……あくまでも伝承された昔話として)