源(明智)光秀の漢詩碑



 雄島の大湊神社の脇に漢詩を刻んだ詩碑が建っています。詩碑には……

 神島鎮祠雅興催  扁舟棹処上瑤台
 蓬瀛休向外尋去  萬里雲遥浪作堆

……と記されています。

 意味は……
「神様がいるような雰囲気の島の神社の雅な趣きにさそわれて、私は小舟にさおさして立派な仙宮に参ることができました。ここに参れば昔いわれた神様や仙人が住んでいられると伝えられる蓬莱(ほうらい)瀛洲(えいしゅう)の地を尋ねる必要もないだろう。 なぜなら捜しに行っても万里の雲路も遥かに遠く、海も浪が高いから。」
……となるでしょうか。
 雄島のみやびを称えて中国の伝記になぞらえ気高く表現された句であると思います。


 伝えられているところでは、源(明智)光秀が、かつて越前の戦国武将・朝倉義景の家中の人として一乗谷の館に滞在中、偶々詩僧・園阿尚人に伴われて、大湊神社に訪れ、四方の景色を楽しみながら一日雄島に遊んだことがありました。その日の夜に、神主である治部大輔の社家に泊まり、三人で百韻の連歌を試みたと伝えられています。

 その後、年を経て天保三年に土地の住人であった田中重教氏がこの句を建て後世にと残されたものが、雄島の神社の向かって右脇にある笏谷石の石碑です。
 ところが永年の浜風に風化磨滅し破損しており、これを惜しんで小樽市在住の札場喜代造氏が、神社の向かって左斜め前に寄進再建したのが大理石の新しい石碑です。


札場喜代造氏が建てた新しい詩碑


田中重教氏が建てた古い詩碑