八雲神社の神輿


 現在の神輿は昭和55(1980)年に京都で解体大修理を行っていて、その際、貞享元(1684)年の木札(棟札)が見つかりました(現在この木札は紛失しています)。
 木札には当時の安楽寺住職の宥海が漢文で……言い伝えによると、昔、牛頭天王社に神輿があったのだが、壊れて使えなくなり長年になる。それで修理は出来ないが、かつての繁栄の様を後の世に伝えたいので、新たに造り奉納する。貞享元年甲子五月中旬、安楽寺住職宥海 記す……といったような内容が書かれていたようです。
 また木札には、安楽寺末寺の明王院の住職・覚宥が獅子頭と装束一具を寄進したと添え書きもあり、かつては祭りに獅子舞が奉納されていたと推測されますが、現在は獅子頭や獅子舞もなく、それにまつわる伝承もありません。
 さらに今の神輿の側面に吊るされた飾り金具には「寛保元(1741)年七月吉日 北方浦惣中」の刻銘があるのもあります。神輿の側面4ヶ所に吊るされた幡は、雲龍模様の蝦夷錦に金糸で神紋の木瓜紋が刺繍されています。平成23(2011)年にこの幡が傷んだので西陣織で新調しようとした時、この織物は現在では出来ない古い織物だと言われたそうです。

 この神輿は例年7月の例大祭で、先ずは東祭りで、安置してある安楽寺から出発し、八雲神社で御神体を入れて東の各所を巡行します。そして東の巡行を終えた神輿は、夕刻、安楽寺本堂正面に安置され、住職も一緒に神事を行いこの日は終わります。
 翌日の西祭りでは、再び神事を行った後、安楽寺から出発し、西の各所を巡行した後、八雲神社で御神体を還し、空になった神輿を最後に安楽寺に戻します。神輿は翌年の祭りまで安楽寺に安置されます。

 この様に、八雲神社の神輿が使われる北潟の祭りは、神仏習合の珍しい祭りです。