「 安 楽 寺 」


 養老三(719)年、泰澄大師が白山にいた時、西北の方角を遠望すると、紫の雲がたなびいていました。それに奇異を感じ霊威を覚えて、その場所に尋ね来て見ると、東南には天を連ねたような瑠璃色の湖、西北には山がそびえ松の木が古色をかもし、その中腹は蓮台(仏様が乗るような蓮の台座)の様で風が竹の葉を鳴らしていました。この時より、泰澄大師は、まさに仏法を広めるに適した霊場であると感じていました。
 すると、突然、夜叉のように二本の角の生えた容貌の、五色の幣帛を持った老翁が現れました。
 老翁が言うには「我は北天の守護神・祇園牛頭天王である。良い時期・機会になったので、この世に住む人々を病気の災いから救う為にここに来た。汝の徳望によって、永年願っていたこの思いを満たして欲しい。 それは人々の苦しみを祓い楽しみを与えるという願いであり、その為にこの霊地に寺院を建てて欲しい」とのことでした。それだけ言うと、老翁は白い煙となって天に昇っていきました。

 泰澄大師は、その不思議な出来事に因み和歌を一首詠みました。
   「かりそめの雲がくれとは思えども 見えねば暗き有明の月」

 その時、東の方の雲の中から、「我此名号一経、其耳衆(ごじしゅ)陀羅尼衆病悉除、身心安楽」という声がして、にこやかな顔をした金色の薬師如来が現れました。
 その薬師如来は「今いた老翁は我が化身である。汝の威力が薄らいだ時には、この里を守ってやろう」と云われました。
 泰澄大師は、かしこまって深く頭を上げ、見上げるとまたもや瑞雲がたなびいていました。泰澄大師は喜び、すぐさま今見た薬師如来の姿を彫刻し、これが現在安楽寺に安置してある本尊であるということです。
 祇園の牛頭天王に出会ったので祇園山とし、「身心安楽」の言葉を聞いたので安楽寺と名前がついたそうです。

 それから三百年ほどして、この海岸で夜になるごとに光を放ち輝くものがあるそうです。安楽寺のお坊さんが不思議に思い海岸に出て見ると、牛頭天王がその眷属(一族)と共に光りながら海中に浮いているではないでしょうか。そこで、この不思議な像を後ろの山に勧請しました。
 その際、真水で海水に浸かっていた像をすすごうとしたところ、たちまち水が湧き出し、濡れた像を乾かそうとして樹木を求めたところ樹林が現れました。その不思議な出来事に因んで、そこを干岡の池と名付けたそうです。