「 北潟の神様 」


 昔、没落した平家の落ち武者が、自分達の神様をお守り出来ないので、その神像を御座船に乗せ、お供の代わりに平家の赤旗を巻いて海に流しました。それが北潟の浜に流れ着いたので、それを見つけた村人は喜び拾い上げて干岡という所へ安置しました。
 村に「ガケ」という姓と「カツキ」という性がある。これは、その時に御神体を抱いてがけを上がったので「ガケ」を、御旗をかついでお供をしたので「カツキ」という姓を貰ったそうです。
 後にこの御神体の神様が「スサノオノミコト」だということがわかり、村の人々は暴れ神様と云う様になりました。
 村の子供が赤い旗を担いで神輿を送り迎えする北潟の例祭は、かつては七月二十二日・二十三日に行われました。その際、成年男子が神輿を担ぎ村中を騒いで歩くのですがが、思い切り暴れないと、翌年のお祭りには雨が降ると云われています。