味坂神社の御祭神

  • 伊邪那岐命(イザナギノミコト)


味坂神社の由緒

 養老元(717)年9月、平野四郎平という人が紀州熊野速玉大社より、平野という所に御神体を勧請しました。諸人の帰依は浅からず毎月18日には老若群集し参拝が絶えなかったと伝えられています。
 天長6(829)年2月、次第に戸数が増え瀧谷村と号すようになった村の産土神として、神社を平野から彌坂山に遷し造立しました。
 ところが元亀3(1572)年、朝倉氏滅亡の時、織田信長の兵火にかかり神社が焼失してしまいました。
 慶長2(1597)年、土佐国主より石祠を、またその娘の快気祝いに鳥居を賜りました。
 元文3(1738)年頃までは、平野畑一万余歩、燈明田、神楽田、神兒田、祭典畑、社守畑、御膳水池、馬場、鞍掛松、身禊池等があり、国主御歴代が順廻の際は必ず参拝される祈願所として、奉納品等もありましたが、次第に衰頽して行くこととなりました。
 延享2(1745)年より今の三国町神明に社殿を移築し、氏子所属し後、社務支配16名にて輪番で奉仕していましたが、焼失或は紛失し、ただ田畑ならびに馬場・石祠・鳥居等のみとなりました。この頃、神社は再び瀧谷村字弥坂山(現在の三国高校の近く)に鎮座していましたが、明治25(1892)年に現在の神明社の境内地に遷座し、明治41(1908)年7月16日、神社としての福井県の許可を得ました。
 昭和61(1986)年、社殿を新築。
 平成26(2014)年11月24日、熊本県人吉市青井阿蘇神社で見つかった御神像を遷座しました。